メインストリートセンターの設立

今回はイントロダクションの第2回目。
前回はメインストリートプログラムが開発された頃のアメリカの社会的背景やパイロットプロジェクトについて説明しました。今回はメインストリートセンターが設立された背景を説明します。
既にご紹介しましたが、メインストリートセンターは米国の歴史的建築物などの保存再生活動を行っているナショナル・トラスト・フォー・ヒストリック・プリザベーションというNPOの中におかれました。中心市街地活性化の活動は歴史的建築物再生の一部でしたが、パイロットプロジェクトの成功により、全米国中から問い合わせが相次ぎ、センターを独立させることになります。その経緯がかかれています。
それでは解説を始めます。本文を黒字、解説を青字で書きます。

スポンサードリンク

ナショナル・メインストリート・センター
初めの6つの州
ナショナルメインストリートセンター(NMSC)はナショナルトラストにより1980年に設立された。センターはワシントンDCのナショナルトラスト本部に置かれ、当初は連邦機関(住宅都市開発局、ナショナルエンドーメントフォーアート、運輸局、経済開発局、中小企業庁、農民住宅局など)により支援を受けていた。

初めてのパイロットプロジェクトはナショナル・トラスト・フォー・ヒストリック・プリザベーションによって行われ、建築物の保全の意味が強かったようだ。その後、組織内に、街なかの再活性化を目的とするメインストリートセンターが設立される。

3つのパイロットプロジェクトでプログラムマネージャーを勤めたスタッフとナショナルトラストの中西部事務所の職員がセンターのスタッフとなった。
インターナショナル・ダウンタウン・エグゼクティブ・アソシエイション(IDEA)と共同して、トラストは二回目のデモンストレーションプログラムを計画した。

インターナショナル・ダウンタウン・エグゼクティブ・アソシエイションとは中心市街地活性化のための組織。ネットで検索するとLAの組織が検索された。地方ごとにこの種の組織があると思われる。

1回目のパイロットプロジェクトとおおむね同じように行われたが、いくつかの変更があった。
一つ目の変更は、センターは、州を通じてまちへの支援を提供することにした。これは、人材や情報資源を州全体に流通させ、その経験を分かち合い、他のまちへ得られた教訓を移転することを、州を通じて行うネットワークを開発しようとしたからである。
二つ目の変更は、デモンストレーションプログラムを行うまちが、プログラムマネージャーを彼ら自身のスタッフとして雇用することとした。
1980年の春、ナショナルトラストは2回目のデモンストレーションプログラムに参加する6つの州を選定するコンペを開催すると広報した。
IDEAとカウンシル・オブ・ステイト・コミュニティ・アフェアー・エイジェンシーの協力により、センターは申込書を提出した38の州から、コロラド州、ジョージア州、マサチューセッツ州、ノースカロライナ州、ペンシルバニア州、テキサス州を選んだ。次に、6つの州のそれぞれの州が5つのまちを選んだ。

日本流に言えば都道府県が主体となり、希望する市町村の中から選出し、その市町村がマネージャーを雇用したということになる。

州で行われたデモンストレーションプロジェクトは1983年末に華々しい結果と共に終了した。
それらのデモンストレーションプロジェクトの内、20のまちで新しい街なか再生を目的とする組織が結成され、また、8つのまちが既存組織を実質的に強化した。28のまちが低利融資のための合同資金組織を設立し、あるいはファサードの改修や建物の改修を促進するための補助制度を設立した。

日本流に言えば、中小小売業高度化事業や特定商業施設等整備事業の融資を受けるため、TMOなどのタウンマネージメント組織を立ち上げたと言えよう。

結果として650以上のファサード改修、600近くの建物改修が行われ、総投資額は6400万ドル(76億8千万円)となった。加えて、60の新たな建築計画が発生し、これは、8400万ドル追加投資(100億円)を意味している。
 1,050のビジネスがスタートし、失敗に終わったものは半数以下しかなかった。多くのまちでビジネスの雇用効果が発生し、事業家や投資家にとっても魅力的なプログラムとなった。その結果、街なかの歴史的商業建築を再利用するしっかりとした経済的な土台を供給することとなった。

ナショナル・メインストリート・センターの拡張
 1984年、ナショナル・メインストリート・センターは街なかの活性化を多くの州へと拡張していった。1990年、31の州が参加し、600のまちが参加するまでに成長した。
 メインストリートプログラムを、より幅広い人々が使えるもとのするために、センターは街なかの活性化に焦点を当てた米国の初めてのテレビ会議を開催した。1984年秋、5時間の生放送が行われ、全米中のまちに放映された。そして、各地域で行われきたメインストリートの活動を知らせた。
放映後、センターはビデオシリーズを作成し、再活性化の鍵となるいくつかの問題に関するガイドを作った。ビデオシリーズの作成とテレビ会議はナショナル・エンドーメーント・フォー・アーツ(芸術のための米国の寄付機関)と農務省地方開発局からの補助を受けた。

センター設立から4年後にテレビキャンペーンを行っている。そのキャンペーンを国の機関が補助している。最近はシャッター商店街が社会問題となりテレビでも取り上げられている。ネットを見ると関係省庁のwebで街なか再生を取り上げ、PRを行っているが、パブリックなキャンペーンには気がつかない。

 更に、メインストリートアプローチを多くの人々に知らせるために、センターはナショナルメインストリートネットワークを1985年に設立した。このメンバーシッププログラムは、全国の仲間たちの情報や知識、経験をやり取りすることで街なかの活性化を促進することを目的に計画されたものである。

会員は月間のニュースレター(メインストリートニュース)を受け取る。それは街なかの活性化に関連する出来事や課題、コンセプトに焦点を当てている。これらは電話を通じてやり取りされることもあり、技術的アドバイスや現場で発生する問題に関する問い合わせに応じている。

現在では、センターの会員はセンターのウエブを通じて情報のやりとりができるように整備されている。

センターは1985年の初めに3回目のデモンストレーションプログラムを行った。それは50,000人以上のまちで行われた。8つのまちがアーバンデモンストレーションプログラムに参加するために選ばれた。それは、都心の商業地区に焦点を当てた4つのプログラムと近隣商業地区に焦点を当てた4つのプログラムである。アーバンデモンストレーションプログラムは1988年に終わった。1989年、センターは5000人以下の小都市の仕事も始めた。

アーバンデモンストレーションプログラムとは都会型MPのことである。前述の通り、MPは小都市から始まり大都市へと移行している。メインストリートの類型は3つに分けられ、「田舎の街なかタイプ」「住宅街にある近隣商店街タイプ」「都心部のアーバンタイプ」と概念が仕分けされている。

1986年9月、初めてのナショナルメインストリートタウンミーティングが開催された。街なかの再生に関心を持つ500人以上の街なか再生のリーダーたちが参加した。そして、ナショナルタウンミーティングは年間の定期大会となった。

メインストリートの全国大会である。メインストリート活動に関わるディレクター、スタッフ、マネージャーたちが参加する。現在も続けられている。数千人の人々が集まり、大きなホテルで行われる大イベントとなっている。

スポンサードリンク

この記事のタグ

サイト内関連記事

メインストリートプログラムの発足
今回は、いよいよメインストリートプロフェッショナルガイドに入ります。 『プロフェ......
メインストリートアプローチのキーポイント
今回はイントロダクションの第3回目。 前回はメインストリートセンターが開設された......

▲このページのトップへ

bi1.gif
bi2.gif
bi3.gif

携帯版のQRコード

メインストリートガイド(米国):携帯版

携帯サイトは3キャリア対応です。

当サイトは携帯でもご覧頂けます。
携帯版サイトURL:
http://udit.co.jp/guide/m/
上のQRコードから読み取るか、URLをケータイに送信してアクセスしてください。